2026年03月19日(木)の日記
この日記はハイパーパーソナルなブログ記事であり、ハイパーオープンな日記でもあるなぁと思う。
日記としてはネットにさらしているので、オープンなわけだけど、ブログ記事として考えると単に日々の思考の切れ端を流しているともいえる。
そもそもブログが役に立つ記事を書かなければいけないわけではないので、パーソナルなブログ記事として日記を書いてもいいのではないかと思う。
昨日読み返したメモの中に以下のようなことが書いてあった。
「先ほど、入門書のところで少し説明しましたが、読書において大事なのは、自分の実感に引きつけて理解しようとしないことです。あるいは、 難しい本を読むのが難しいのは、無理に納得しようと思って読むからである。 僕の感覚で言うと、読書というのは、知らない部屋にパッと入って、物の位置関係を把握するようなイメージです。そのときに、なぜそこにそれが置いてあるのかという意味はすぐには理解できない。そうだとしても、たとえば、奥にコピー機がある、その手前にテーブルがあり、テーブルの上にはマグカップが二つあって、というような把握はできる。この喩えで言いたいのは、納得よりも先に、使われている言葉の種類や、論理的なつながりなどを把握してほしいということです。それは、テクストの骨組み、「構造」を分析することです。」 『勉強の哲学 来たるべきバカのために (文春e-book)』千葉雅也著 https://a.co/3r171hQ
難しい本について無理に納得しようとしない、まずは把握するということ。
ここについても実況メモ式感想法は使えるのかもなと思ったり。実況するとは一種のスケッチともいえる。把握のためにスケッチをする。その一種の手法なのかもしれない。